HSP.うつ病の私が2児のママになった

HSP、うつ病の私が年の差姉妹のママになったら大変なことになった

4 ODをした朝、入院まで

見に来て下さってありがとうございます☺️

前回のブログの続きです。

 

崩れたものは戻らず、今の現状、将来の不安、絶望を感じ、ボーッとしながら処方された薬を全てひたすらお茶で流し込んでいた。

ODとは、精神的な苦痛から逃れ、多幸感を得るために薬を大量に接種すること。

確かに薬を飲んでしばらくはフワフワした感じがしたんだけど、薬が強かったのか失神してしまい、そこからの記憶は霧がかかったよう。

断片的に覚えているのは、母親が叫び、父親が救急車を呼んでる声。バタバタとした足音。

救急隊の男の人が肩を叩きながら何かを言っていた。母親が必死に何かを言っていた。

救急車に乗った記憶はなく、病院についた記憶もない。

どのくらい気を失っていたかわからないけど、たぶん夕方だったのかな。

尿意で目が覚めた。薬を飲む為にお茶沢山飲んでたから…

目を開けたら、主治医の先生が心配そうな顔で私を見ていた。

当時大学病院の精神科を受診していたから、そこに運ばれたんだと理解し、トイレに行きたいと言った。まぁ、歩けるわけもなくベッドサイドのポータブルトイレで済ませた。

その日はずっと点滴をし、そのまま入院。

入院中はなにをするわけでもなく、ただボーッと過ごすだけ。何も考えられず与えれた薬を飲み、寝るだけ。

何日かして、主治医の先生がカウンセリングにきた。何がそこまで貴方を苦しめているの?と。

すべてを話した。ただ黙って聞いてくれる先生。嫌な記憶を喋ることで鮮明に思い出し、パニックになり吐いてしまった。

先生は退院しても、兄と一緒に暮らしている限り症状は改善しない。離れて暮らすべきだと言った。

それをするには、両親に話さないといけない。

悩んだ。

悩んだけど、先生から話してくれることになり退院への兆しが見えた。

 

こんな私が言うのはなんですがODは断固反対です。なぜならODした後のほうが何倍もつらい。

命の危険もある。

読んで下さってありがとうございます。