HSP.うつ病の私が2児のママになった

HSP、うつ病の私が年の差姉妹のママになったら大変なことになった

11 うつ病の私の存在意味

見に来て下さってありがとうございます☺️

前回の続きです。

 

わんことの生活も数日たち、お散歩デビューするべく、動物病院に注射を打ちに行くことになりました。

わんこの世話はすべて私が任されていたので、まずは動物病院に予約の電話から。

うつ病でありHPSでもある私はめちゃくちゃ電話が苦手です。

うつ病で家族以外とほとんど話していなかったので、知らない人と電話なんてもってのほか。

相手の表情が見えないから怖い。

謎の間が怖い。

電話をかけるまで、準備が必要でした。

頭が真っ白になると思ったので、メモ用紙に自分の名前、予防接種の予約であること、日時、わんこの月齢を書きいざ電話!

電話は苦手ではあったもののうつ病になる前はこんなことしなくてもできていたのに…出来なくなってることが増えていました。

ドキドキしながら動物病院に電話をし、手汗びっしょりでなんとか予約を取ることができました。

こうやってひとつひとつ、出来ることを増やしていかないと一人暮らしなんて無理だなと実感しました。

 

予約当日。頓服薬を飲み、1人と1匹でいざ外出。

1人で近所に散歩も行けなかった私が行けるのだろうか、知らない場所に行き、知らない人としゃべれるだろうか、不安しかありませんでした。

半分やけくそでエイヤ!と玄関から出て、深呼吸をし、わんこのことだけを考えて(他のことを考えると不安で泣いてしまいそうだった)電車に乗りました。心臓はバクバクで、胸はザワザワし、息苦しかったのを覚えています。

 

動物病院に着く頃にはぐったり。獣医さんのお話を聞き、注射を打ってもらい逃げるように帰宅。

ずーっと緊張してたので、スゴい疲れていました。疲れたと同時にできた!ことに対して嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

そして、私の行動でわんこを病気から守ることが出来たと思えました。

PTSDになり、うつ病になり、消えてしまいたい、死んでしまいたいと思い続けていた日々でしたが、誰かに必要とされる存在になれたこの瞬間に、もう少し生きていてもいいかなと思いました。

少しずつ、少しずつですが、自分に自信がつき外出できるようになり、他人と話せるようになっていきました。一日中布団の中にいる日もありましたが…

そんななかでも、働かなきゃ、社会に出なきゃという焦りは消えることはなく、苦しい日もありました。

家の中では、わんこのお世話という役割が出来ましたが、世間的には、なにもしていない20代。

療養中とはいえ、ニートだと言う人もいるでしょう。

他人や友達と比べても仕方ないことは、わかっていても焦燥感は消えることはありませんでした。

数ヶ月たち病院の先生と相談し、少しずつ減薬し始めた頃に、派遣の仕事に登録しました。

ようやく社会復帰への第一歩になりました。

読んで頂きありがとうございます。

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